町人も蹴る 伊左衛門も蹴る 蹴る蹴る蹴ると蹴散らかし
清元・夕霧 1863(文久3年)
タネノオト73、75とお届けした清元「夕霧」ですが1月も終わりが見え、春分間近というわけでこの回で一区切りにしましょう。
今回、大荒れ激オコ伊左衛門も上記を併せて読んでいただけると心中共感できるかも?
違う部屋で接客中だった夕霧太夫。
ようやく自分の所へ来て嬉しいものの、腹の虫が治らない伊左衛門は素直に喜べず。
おぼっちゃま、拗らせているからねw
漆塗りの菓子皿を鼓に見立てて、年末年始の風物詩“万歳唄”に掛けて夕霧を蔑むプレイを展開します…
万歳唄
〽︎誠に目出度う候いける
〽︎年立ち返る朝(あした)より
〽︎徳若にご万歳
伊左衛門アレンジ唄
〽︎誠に目出度う侍蹴る
〽︎年立ち返る脚だにて
〽︎欲わかにご万歳
と囃し立てて、本日の一節。
町人も蹴るし僕も蹴る 皆んなで蹴散らかしてやるぅぅぅ
自暴自棄。。
それでも動じない夕霧太夫。
「えー、会えない間に私病気になったんだけどー。それも伊様のせいなんだけどー。」と、くどくど口説き伊左衛門の機嫌をとります。
結局、伊左衛門の勘当が許されてハッピーエンド♡で幕となる訳ですが、一流の太夫が遊芸民である万歳に例えられたのは夕霧も腹が立ったことでしょう。
ご興味ある方はこの辺りを『旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世』
コロナ禍に陥って以来、日々の行動様式でなく様々な職業自体が「不要不急」なのか?と問われました。
音楽も飲食も無くなったらこの世はつまらない!と言う声を聞くものの、ライフラインや医療など社会基盤の優先順位とは別問題だろうと。
補償の話があるのは前提として、感情論として存在否定されているように感じるのでしょうか?不要不急問題は職業の存在意義とゴッチャにして議論してはいけないな〜と、答えの出ない対立構造を見るたび思います。
転々と旅して芸を披露する万歳をはじめとした芸能のルーツと比べると、令和に生きる芸能者は窮屈かもね。
服部石仙「万歳」
תגובות