タネノオト #072
- 河野文
- 2020年12月18日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年12月26日
峰の白雪ふみわけて 入りにし人ぞ恋しき
長唄・賤苧環 1908(明治41)
「別れ」には明日また会える別れと二度と会うことのできない「今生の別れ」があります。
今年は、その「今生の別れ」が突然やってくることがあり、また去る者が自分である可能性もあるということを考えるようになった年でもありました。
当り前だったことが当たり前ではなくなったことの一つに、ちゃんとお別れができないままの、、ということがありました。考えようによっては葬儀は遺された人のためのものでもあります。亡くなった人に手を合わせて感謝の念を送る、それが突然いなくなってしまったような感覚に陥り、もしかしたら駅のコンコース・雑踏の中でまた偶然見かけたりできるのではないかと、ふと思ってしまう。手を合わせて空を仰ぐ・・というのはお芝居でよくみるけど大切なことなのだと思うようになりました。
古典作品からは、歴史や地理だけではなく人の教えやこころを知ることが出来ます。また日々の稽古・鍛錬によって、悲しみや苦しみを自らの力に変えることもできます。「今生の別れ」という実体験を通してどのような表現に繋げるかということも課題としたいです・・・って来年の抱負みたいになってしまいました。
〽吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人ぞ恋しき~は去っていく恋人・義経が恋しいことを表しただけではなく、別れとは峰の白雪を踏み分けて行くようなもので、その道は険しくも美しいものであったと理解しました。
本年も駄文にお付き合いくださり有難うございました。
Comments