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タネノオト #037

  • 2020年4月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年4月11日

タネノオト #037

いつしか花も ちりてつとんと

清元・北州 1818(文化15年・文政元年)


皆さん、おはようございます。

ご自宅でプロテクトされていますか?

人間が右往左往するのを他所に桜は例年通り咲き誇っているので、前々回『吉野山』に続き桜と縁のある演目をご紹介です。


数多ある植物の中で花といえば「桜」を指すようになったのは不思議なものです。

奈良時代までは花といえば「梅」だったのに。

花で思い出すのは、花の色は移りにけりないたづらに・・・学生時代に百人一首覚えたなぁ。今じゃ20首も覚えていないと思うけれど(涙)


この和歌でも詠まれているように桜は咲いてから散るまでの過程にひとつ美学があるのでしょう。「散らない桜」を想像すると一気に季節感がなくなるし、有り難みも半減する気がしません?


今回ご紹介するタネノオトはファンも多い演目『北州(ほくしゅう)』より一節。

この演目は吉原の年中行事を詠んだ清元の代表的なご祝儀曲です。

小野小町女史も言ったように、花=老い(死生観)というのも一般に浸透した比喩表現。

いつか桜の花のように人も散りゆくのよ
(♪チリテツトン〜)

ってところでしょうか、現代語訳は。

「ちりてつとん」は三味線の唱歌チリテツトンと花が「散り」の掛け言葉。

またね、いい節と清搔という三味線の手がついているんですよ。故に切なさ倍増。


さておき。

『北州』はご祝儀曲なので厳かに表現するのが今の風潮ですが、個人的には違和感があります。

作詞は時の狂歌師、太田蜀山人(大田南畝)。初演当時69歳。

吉原に入り浸り、どこかの座敷で(膝枕でもされて、花の下ならぬ鼻の下伸ばして)書いた歌詞に違いないでしょ!!と思うんですよね。

そう仮定すると散りゆくのは蜀山人本人なのか、吉原の女なのか、はてさて。


そしてタイトルの『北州』

江戸の北部にあったので〜というのはよく見る解説だけれど、あれは御行儀が良すぎます笑

建前でしょう。

南方熊楠大先生に拠れば、北州(洲)は須弥山の山の北方の地域で相当な極楽なんだな。

須弥山については前回タネノオトで触れているので見てね〜

博学蜀山人の事ですから、単に吉原の位置のみならず夢の国 北洲を意識したに違いないでしょう。コレを読んで(特に黄色下線部)厳かに演奏できようものか。

歌詞は多角的に読み解くと実に奥深いものですね。

こんなご時世で今年はろくにお花見できないですが、ご自身も周りも守ると思いましょう。

桜は散っても、これからだって毎年咲くのだから。

そして人もいつか散る人生ならば、嵐でなく穏やかな日差しの中を散りたいものです。

皆さま、どうぞお元気でいらしてね。


参考文献 『十二支考』犬の項 南方熊楠

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